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老いらくの恋

ビートたけしが離婚しました。
慰謝料で200億円も払うなんて太っ腹ですね!

妻も軍団も捨てさせた、ビートたけしの愛人が手にする“莫大な金”(FRIDAY) - Yahoo!ニュース

驚いたのは、離婚のために渡した元妻への財産分与だ。
一部報道では、200億円とも言われ、「芸能界最高額」との文字も踊る。

サラリーマンの生涯賃金が3億円と言われる中、毎年10億円とは、庶民には気の遠くなるような話。
「100億円の愛人」と報じられたこともあったが、とにかく“殿”らしいスケールの大きい「老いらくの恋」であることには、間違いなさそうだ。



A子さんは銀座の元ホステスとのこと。
うまいこと男を転がしましたね!?

●「老いらくの恋」とは?
何だろう?と思って調べてみると、

老いらくの恋(オイラクノコイ)とは - コトバンク

年老いてからの恋愛。
昭和23年(1948)、68歳の歌人川田順が弟子と恋愛、家出し、
「墓場に近き老いらくの、恋は怖るる何ものもなし」
と詠んだことから生まれた語。



川田順 - Wikipedia

川田 順(かわだ じゅん、1882年(明治15年)1月15日 - 1966年(昭和41年)1月22日)は、歌人、実業家。住友総本社常務理事。
漢学者川田甕江の三男。女優・歌手の佐良直美は従曾孫娘。



1944年から、元京都帝国大学経済学部教授・中川与之助夫人で歌人の鈴鹿俊子(中川夫妻は既に3子をもうけていた)の作歌指導にあたる。
川田と中川は旧知の間柄であったが、俊子に「新古今集」研究の手伝い等をつとめてもらう中で、川田と俊子の交際は人目を忍ぶ仲へと発展、俊子との仲は中川の知るところともなる。
川田は俊子との別れを中川に誓うが、結局逢瀬に再び身をやつすこととなり、1948年8月、中川夫妻は離婚に至る。
しかし川田は自責の念に苛まれたことなどから、同年11月30日に家出、12月1日に亡妻の墓前で自殺を図った。
一命をとりとめたが、川田が家出の際に谷崎潤一郎たち友人に宛てて遺書を、新聞社に告白録などをそれぞれ送っていたことから、自殺未遂の顛末が報道され、俊子との交際が公になり、いわゆる“老いらくの恋”として騒がれることとなる。
翌49年に川田は俊子と結婚、再婚後は京都から神奈川県に転居、俊子の2人の子を引き取って同居生活を送った。



なんだ、ただの助平爺の開き直りかw
老害の性欲は厄介ですね?
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コメント

良い子孫を作れそうな優秀な男は、年寄りでも神様が恋愛させるんですよ。
別に本人が年寄りだけど恋愛してやろうと企んだわけじゃないんです。

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