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切ないね、日本航空

経営不振に陥った企業の社員には、未来の希望がない。
企業には頼れない。
自分にできることから、やり直すしかない。

日航 機長目前、悪夢の中へ

毎日新聞 10月24日(日)15時20分配信

 「あなたにもう、活躍の場はない」。経営再建中の日本航空で、会社から希望退職に応じるよう求められた一人のベテラン副操縦士(52)が、22日に退職届を出した。この日が応募の締め切り日。退職者が予定数に達しない場合、経営陣は一方的に雇用契約を解除する「整理解雇」の方針も示していた。「大空へのあこがれで訓練や資格取得に頑張ってきた。今までの努力は何だったのか。悪い夢の中にいるようだ」と悔しさをにじませた。【山田泰正】


◇「白紙のスケジュール」届く

 「決断しました。私も辞めることにしました」。今月20日夕方、滑走路の見える成田国際空港内の喫茶店。勤続28年、飛行時間9000時間の副操縦士が記者に打ち明けた。

 9月25日。羽田空港の運航本部に出勤し、自分のメールボックスに届いた10月の乗務スケジュールを見て目を疑った。行き先や便名でびっしり埋まっているはずなのに、面談(ミーティング)を示す「MTG」や休日の「H」の記載がぱらぱらとあるだけ。乗務はすべて外されている。「白紙のスケジュール」はコックピットでうわさにはなっていた。「とうとう来たか。何だよこれ」

 その10日後、面談の相手は一緒に飛んだこともあるパイロット出身の部長職だった。「あなたに活躍の場はありません。社外で活躍してください」。年齢が退職勧奨の理由だった。

 ◇年収4割減に

 1982年入社。航空機関士(FE)としてボーイング747などに乗務してきた。90年代にFEを必要としない機種が主流となり、会社から地上職への配転か退職を迫られた。労使交渉でパイロットへの職種転換が認められ、長い訓練の末に99年、副操縦士としての乗務が始まった。09年には機長になるための国家資格を取得。念願の機長昇格に向けて座学や訓練が始まった直後、経営破綻(はたん)に見舞われ、夢は断たれた。

 航空機関士時代、リストラにさらされた苦い記憶は消えていない。大切にしまっていた機関士の制服を着て面談に臨んだ。「部長、この制服を着てきた意味が分かりますか。2度もこんな目に遭わせるのですか」

 面談では退職勧奨を突っぱねたが、会社に残っても賃金は下がり続け、年収は来年度以降、今の4割減となる見通し。整理解雇の可能性もある。家族は妻と大学生の息子2人。「今なら退職金の上積みで家のローンが返せます。家族を守りたい」。11月まで会社に籍があり、その先には職探しの日々が待つ。「私がパートに出るから大丈夫」という妻の言葉が胸にしみた。

 訓練の行き届いた日航パイロットへの評価は高く、会社の掲示板に各国の航空会社の求人票が張られている。中東の航空会社も最近、東京都内で、日航現役組向けの転職説明会を開いた。だが求人は主に機長要員で、副操縦士の口はほとんどない。

 ◇先輩機長、泣き崩れ

 副操縦士は22日、朝一番に羽田空港の運航本部へ出向いた。部長が立ち上がって迎えた。「決断されましたか。これまで日本航空のために働いてくれてありがとう」

 機長昇格訓練で指導役だった先輩機長にも電話で報告した。「あと少しで一人前の機長だったのに……。申し訳ない」。先輩は受話器の向こうで泣き崩れた。

 乗務する機に、これまで家族を一度も乗せたことがない。「機長としての初フライトに乗せたかったが。ラストフライトもできないまま、卒業です」。副操縦士は小さく笑った。

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