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飯塚事件:福岡地裁がDNA資料取り寄せ

間違って死刑にされちゃったら、やっぱイヤだよな~。

世界一、アンラッキーな男><

飯塚事件:福岡地裁がDNA資料取り寄せ

福岡県飯塚市で女児2人が殺害された「飯塚事件」で、死刑が執行された久間三千年(くまみちとし)・元死刑囚(執行時70歳)の遺族の再審請求を受け、福岡地裁が、裁判で証拠採用されたDNA型のネガフィルム2点を警察庁科学警察研究所(科警研)から取り寄せていたことが分かった。弁護側は「再審を判断するため裁判所が慎重に証拠を精査し始めた」と評価している。

 関係者によると、飯塚事件の再審請求を巡って福岡地裁が資料を取り寄せたのは初めて。この資料は公判で検察側が証拠として提出し裁判所が証拠採用していた。ネガフィルムを保管していた科警研から2月中旬に取り寄せたという。

 飯塚事件では、殺人罪などに問われた久間元死刑囚が無罪を主張したが、現場に残されていた血液と久間元死刑囚のDNA型が一致したなどとして死刑が確定した。

 しかし、09年の再審請求で、弁護側は、実施されたDNA型鑑定(警察庁科学警察研究所のMCT118型鑑定)を▽型判定の精度が低い▽警察庁指針に反した方法をとった--と批判していた。

 福岡地裁は取り寄せたネガフィルムで、鑑定について具体的に検討するとみられる。

 MCT118型鑑定を巡っては、菅家利和さんの無罪が確定した「足利事件」で証拠能力が否定されている。ただ、飯塚事件ではDNA型の再鑑定ができるだけの試料が既に無いとされており、再審が開始されるかどうか、注目される。【岸達也】

 ◇飯塚事件◇

 92年2月、福岡県飯塚市の小学1年の女児2人が通学途中に行方不明になり、同県甘木市(現朝倉市)の山中で遺体で見つかった。県警は94年10月、久間三千年元死刑囚を殺人容疑などで逮捕。元死刑囚は一貫して否認し、公判でも無罪を主張したが、福岡地裁は99年9月▽元死刑囚のワゴン車と似た車を現場付近で見たとの証言▽車内から被害者と同じ血液型の血痕と尿を検出--などの状況証拠から死刑を言い渡した。DNA型鑑定の信用性も認めた。最高裁が06年9月、上告を棄却。08年10月に刑が執行された。

毎日新聞 2012年3月1日 11時47分(最終更新 3月1日 14時17分)



飯塚事件の再審請求、地裁がDNA資料取り寄せ

1992年に福岡県飯塚市で女児2人が殺害された飯塚事件を巡り、2008年に死刑が執行された久間(くま)三千年(みちとし)元死刑囚(執行時70歳)の遺族が行った再審請求で、有罪の有力な証拠とされたDNA鑑定の結果を検証するため、福岡地裁が2月中旬、警察側からDNA型を撮影した写真のネガを取り寄せていたことがわかった。

 弁護団は「大きな一歩」と評価している。

 この事件は、遺体周辺から採取された血痕と久間元死刑囚のDNA型が鑑定で一致したほか、目撃情報などから有罪とされた。DNA鑑定を巡っては、再審で証拠能力が否定され無罪が確定した栃木県足利市の「足利事件」と同じ手法で実施された。

(2012年3月1日19時11分 読売新聞)



飯塚事件で福岡地裁が資料取り寄せ 再審請求でDNA鑑定検証

2012/3/1 14:12

 福岡県飯塚市で1992年、女児2人が殺害された「飯塚事件」で殺人などの罪で死刑が確定し、2008年に執行された久間三千年・元死刑囚(当時70)の再審請求を巡り、福岡地裁が有罪の根拠の一つになったDNA鑑定を検証するため、警察が保管している資料を取り寄せたことが1日、関係者の話で分かった。同地裁はこの資料などを基に再審開始の可否を慎重に審理するとみられる。



飯塚事件 - Wikipedia

飯塚事件(いいづかじけん)とは1992年(平成4年)に発生した殺人事件である。自白は得られなかったが、導入されたばかりのDNA型鑑定結果が多くの状況証拠の一つとされて有罪判決が確定し、死刑が執行された事例である。事件の概要から飯塚女児二人誘拐殺害事件とも呼ばれる。足利事件の無罪判決を受け、同様に当時のDNA鑑定を利用したこの事件も冤罪ではないかという報道が多くなされたが、再鑑定によって犯人と矛盾しない結果が出ている。

事件の概要
1992年2月20日、福岡県飯塚市の小学校1年生だった女児2人(当時7歳)が登校中に行方不明になった。 同年2月21日、その後、同県甘木市(現在の朝倉市)の雑木林で殺害され遺棄されているのが発見された。死因は窒息死だった。同年2月22日、遺留品が発見される(着衣・ランドセル)。

被疑者と起訴までの経緯
この事件では犯人を特定するために必要な遺留品が乏しかった。1992年2月25日、捜査に当たっていた福岡県警察は被疑者としてK(当時54歳)の自宅を訪問し、事件当日のアリバイについて事情聴取をおこなった。これは遺体遺棄現場付近で目撃された紺色のワンボックスカーを所有していたためである。またKが1988年12月4日に発生した女児失踪事件でも捜査線上に名前があがっていた人物であったためでもあった。1992年9月26日、中古車ディーラーに売られていたKの所有車を押収し、尿痕および血痕が発見された。1993年9月29日、Kが捜査員に対する傷害容疑で逮捕され、罰金10万円の刑を受ける。1994年4月、死体遺棄容疑でK逮捕。同年10月14日、誘拐、殺人で再逮捕。同年11月5日、殺人と略取誘拐ならびに死体遺棄で起訴。
この事件では、Kから犯行の自白がなかったばかりか、指紋といった証拠がなく、状況証拠の積み重ねが公判の対象となった。その状況証拠の一つとして認定されたのは、DNA型であった。
2000年代後半の段階ではDNA型鑑定の精度は約4兆8000億人に一人の確率で判別[1]できるが、これはDNAの複雑な配列の読み取りをコンピューターによって超高速でおこなうことが可能となったためである。しかし、起訴当時に警察庁科学警察研究所が使用していた「MCT118型検査法」は人の目による識別[1]であり、染色体のうち16個の塩基配列が繰り返される回数で個人差を特定する方法であった。そのため、一般的な型で16人に一人、特殊な型で3万5000人に一人しか判別[1]できず、平均すると、およそ1000人に1.2人の確率とされた。



もしも、冤罪だったら、真犯人は今も野放しで、自由を謳歌し、笑っているだろう。

なんてこった!

また裁判では直接の動機は明らかにならなかったが、これはKが終始犯行を否認した為である。これについて捜査関係者は「彼は家族を守るために否認を貫いた」との見解を示している。それによれば犯行を認めれば自分の家族が崩壊するが、冤罪を主張したまま死ねば救われるというものであった、と述べている。



それ言ったら、無罪を主張する奴は、全員有罪みたいじゃん。

真犯人でも無罪を主張するかもしれないけど、濡れ衣だったら当然無罪と言う他ないだろう>本人だったら。

死刑にする場合は確実な証拠がある場合にして、それ以外は無期懲役にしておいて、真犯人探しは裏でコッソリ進めた方がいいんじゃないの?

=いざ、真犯人が見つかったら、キープしておいた犯人候補者を無駄に殺さなくて済むよね!
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